朝日新聞の掲載記事への見解。

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なんだかタイトルからしてツッコミどころが多い記事ですが、 ダイバーシティズンの活動がせっかく新聞に載ったので記事に対する見解と一緒にシェア。

【朝日新聞】京都)デモの技術磨きませんか ワークショップ呼びかけ

先に記者さん側の事情を書いておきます。
・世間では安保法制が注目され同時にSEALDs及びSEALDs KANSAIへの注目度が上がっているためプレスリリースで記者さんの目に留まったのはSEALDs KANSAIで活動している陸がゲストの1人という点。
・記事にするため=ニュース性を高めるためには安保法制やSEALDs KANSAIという言葉を記事に入れたかった。
・そのうえでダイバーシティズンにとっての「いわゆる中立性」の重要性を鑑みて書いてくれている。

既にこの時点で無理があると思うので、記者さんも結構苦労して書いたのではないかと記事の各所から感じています。
本当にダイバーシティズンの「いわゆる中立性」を大切にしてくれるなら安保法制やSEALDs KANSAIは入れなくてもよかったわけですがそれでは記事になりにくいという諸々の事情により生まれた記事だと思います。
という意味では記者さんに感謝していると同時に、一言言いたいフレーズや文脈が多々あります。

記事になったこのイベント趣旨は1人の市民として政治に参加している若者2人に「なぜ自分が行動するのか」を行動を起こす前の中学や高校からライフヒストリーを語ってもらい紐解いていき、彼らの行動・衝動・思い・感情を語ってもらうことで民主主義や市民が持つ権利を具体的に表現したもので、主催者の趣旨と記事のタイトルはだいぶニュアンスが違います。

他にも、デモの”技術”って何??とか、強調したいのは「監視」ではなくて「主権者と権力者のパワーバランスや関係性を向上すること」なんだけどとか、なんでやたら言い切ってたり上からなニュアンスなの?とかありますが、そのへんはメディアあるあるだし列挙で済ませます。

その一方で、記者さんがとても理解してくれていたなぁと思うのはさっきからいわゆる中立性と書いている「中立」という言葉がこの記事に出てこなかったこと。

この言葉は民主主義を語る上でとても厄介なニュアンスを持っているので「僕は嫌いです・使いません」と伝えていました。

民主主義の成熟や国民主権、あるいは市民の政治参加の手法を考えたりするときに「中立性」という言葉を使ってしまうとそこにあるべき「当事者性」を損なってしまうことがあります。

日本では投票率向上や政治参加を促進する組織にやたらと中立性を求め、また組織もそれを強調し一見中立に見えますが、そもそもそれらの組織にも自分たちの主張することがあるわけで(それがたまたま世間的に大方の人が反対しないことに見えるだけで)組織として「政治的中立組織」は存在しないと思っています。

使うとすれば「公平性」という言葉。
中立はどちらにも寄らない・不干渉であることとされますが、公平はどちらにも平等に接することを言います。
しばしば「公平・中立を守る」と並んで使われることがありますが、それぞれの意味は小さいようで大きく違うので、個人的には並び立てることに違和感があります。

「組織の公平性や中立性」に関してはもう少し整理してしっかりと因数分解したいと思うのでまた改めてまとめて書きますね。

とりあえず今回の記事に関してはこのへんで。
なんと9日の僕らの民主主義にも取材に来てくれるそうなので、今回のことも含めてなるべくコミュニケーションを取っていこうと思います。

 

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